2010年03月22日

東京財団の労働政策提言の問題点

先日、東京財団から「新時代の日本的雇用政策〜世界一質の高い労働を目指して〜」と題する政策提言が発表された (pdf) 。また、同提言の要約は3/19付の日経新聞「経済教室」にも掲載された。この提言は「最近の経済学の研究成果も踏まえ」ていると言う。しかしながら、この研究成果の引用は誤っており、恣意的に結果を伝えている、と言わざるをえない。また、全体のロジックも不明瞭であり、まだ経済学からはサポートされていないことが多い。この問題について述べていこうと思う。


今回注目するのは、最低賃金の章である。。見た限り、最新の経済学の成果が反映されているのはこの章だけである。提言の内容を、経済教室(4ー5段目)より引用する。


(引用始)
 …だが最低賃金引き上げも、工夫次第で生産性向上へのインセンティブとして機能させることができる。確かに教科書的な経済理論では、最低賃金引き上げは雇用の消滅をもたらす「禁じ手」である。しかし、労働経済学の最新の実証研究は、最低賃金の上昇は必ずしも雇用を消滅させないことを示している。
 例えば青森県の最低賃金は、1994年の528円から2003年には605円に上昇した。その結果、時給605円未満の雇用は失われたが、それとほぼ同量の雇用が605円ぎりぎりの水準で増えたことがわかっている。
 最低賃金が上昇しても、それ以下の賃金の労働者が携わっていた仕事自体が消えるわけではない。その労働者を解雇する代わりに、それまでの仕事に加え、賃金上昇分の仕事もこなすよう訓練することもできる。職務という観念が薄く、労働の代替性が高い日本では、まさにこのようにして雇用が維持されてきたと考えられるのである。
 このことは、最低賃金の引き上げが、教育訓練や設備投資を促し、生産性を高めるインセンティブとして働く可能性を示唆する。…
(引用終)


ポイントは3点。

 1.教科書的な経済理論では、最低賃金引き上げは雇用の消滅をもたらす。
 2.労働経済学の最新研究は、最低賃金の上昇は必ずしも雇用を消滅させないことを示している。
 3.最低賃金の引き上げが、教育訓練や設備投資を促す可能性がある。

一点ずつコメントをしていく。


<1.教科書的な経済理論では、最低賃金引き上げは雇用の消滅をもたらす。>

これは誤解されがちなことではあるが、ミスリーディングである。完全競争市場の仮定が労働市場で成り立つならば、最低賃金が雇用の消滅をもたらす、という理論が成り立つ。しかし、完全競争市場の仮定が成り立たない場合においては必ずしもそうではない。

完全競争から外れた場合、特にこの文脈でいうと「買手独占」(労働の買手、つまり企業が少数しかいない)が発生している場合、最低賃金の上昇が雇用量を増加させる可能性がある、ということが理論的に言える。これは労働経済学の教科書(例えば Boeri and Ours)にも載っている知識である。完全競争市場だけを扱うのが「経済学の教科書」ではない。


<2.労働経済学の最新研究は、最低賃金の上昇は必ずしも雇用を消滅させないことを示している。>

引用されている「最新研究」とは、以下の論文である。

Kambayashi, Kawaguchi and Yamada "The Minimum Wage in a Deflationary Economy: The Japanese Experience, 1994−2003" pdf

重要なのは、この論文は「最低賃金の上昇は雇用の消滅させない」ということを実証しているわけではない、という点である。むしろ、abstractにも明確に「The steady increases in the effective minimum wage reduced employment among low-skilled female workers」と書いており、最低賃金の上昇が低スキル・中年女性の雇用を消滅させたことが示されている。

提言では、論文中の青森県と東京都の賃金分布の図を用い(p11)、新しい最低賃金未満の雇用が消滅したが、それと同量の雇用が新しい最低賃金付近に生まれたと主張する。確かに新最賃未満の雇用は消滅し、新最賃付近の雇用は生まれている。しかし、それが「同量である」とまで言えるかどうかはわからないし、引用論文ではこの点について増えたかどうかについては述べられていない。

引用論文では、全ての県のデータを用い、かつ他の要因も考慮した上で、低スキル・中程度の年齢の女性労働者の雇用が失われたことを示している。とにかく、「最賃の上昇は雇用を消滅させない」とは述べてはいないのである。

注1:また、確かに男性労働者など雇用量が変わっていないと考えられる層もいるが、これはこの期間における実証分析であり、今後最賃を上昇させて雇用が失われない、とまで言うことはできない。

注2:引用論文に限らず、最低賃金に関する実証論文は国内国外多数存在し、その効果について安定した結果は得られていない。(雇用を消滅させるとするものも、雇用量を変えないとするものもある。)これについては例えば http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/09090901.pdf を参照していただきたい。


<3.最低賃金の引き上げが、教育訓練や設備投資を促す可能性がある。>

これに関しては、財団オリジナルのロジックであり、引用論文とは一切関係ない。経済学的には、ある程度のスキルがないと労働者は雇ってもらえないので、教育訓練が多くなる可能性は考えられる。(ただし、この教育訓練が提言のように企業内で行われるとは限らない)これに関してはさらなる理論的根拠と実証研究が求められるだろう。


以上のように、東京財団の提言は最新の研究を反映させた、と言うことはできないし、よって全体として実証的根拠のない主張となっている。自身の主張のために論文の誤った引用が行われていることは非常に残念である。

最低賃金引き上げは企業活動、労働者(就業者・失業者)の行動など多くの変数に影響を与える。「生産性蓄積」という一面だけをことさらにとりあげるのではなく、実証結果を正確に踏まえた幅広い議論が今後発展していくことを期待したい。


補足:
この提言に提言に対する経済学関係者の一連のtwitterでの発言を、
http://togetter.com/li/10218
にまとめた。ここで最後に述べられている大竹・橘木対談 pdf は必読である。

posted by とも at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 労働問題・労働経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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